『ダークサイド・セオリー』は2020年に公開されたアメリカの映画。

アメリカと対タリバンのアフガン軍の闇に迫るハードボイルドアクションです。

今回は、『ダークサイド・セオリー』のあらすじや感想(ネタバレあり)をレビューしていきます。

あらすじ

ある日、元刑事の私立探偵であるジミーのもとに、行方不明の息子・カリドを探してほしいという夫婦が訪れる。

アフガニスタン難民のカリドは12歳のころに夫婦に引き取られ、無口でも成績は優秀な青年だったという。

ジミーが彼の行方を追っているあいだ、同じような手口のアフガニスタン人連続殺人事件も発生。

やがてジミーは、かつての対タリバン戦で協力関係にあったアメリカとアフガニスタン部族軍が引き起こした、おぞましい事実を知っていく。

 

世界観

舞台はアメリカ。登場人物の心情や場面の緊張感に合わせた静かなメロディーとともに、ストーリーが展開していくハードボイルドアクション。

1時間18分という短い放送時間でありながら、物語の進行はスローペース。

 

感想(ネタバレあり)

人探しが、アメリカ社会の抱える闇につながっていく話。

専門外だからと夫婦の依頼を一度断ったジミーは、彼の息子の写真を見た奥さまに「あなたの息子が失踪したらどんな気持ち?」と言われ…すでにそんな状況下にあったジミー。自分の息子が行方不明だからこそ、協力したのだろう。

ある男の情報提供でジミーがバチャバジの存在を知ってから、一連の事件の犯人は察しが付くが、テンポよく点と点が繋がっていくから話は理解しやすい。

  • 連続殺人の犠牲者は皆、アフガニスタン軍でバチャハジに勤しんでいた男たち。
  • カリドが入国した日

この2つの情報が合致したことで、一気に物語は展開していく。

 

バチャバジとは、少年の性奴隷を意味する。(少年愛、同性の小児性愛など意味は幅広い)

アフガニスタンで誘拐された少年たちが、女装させられて軍の慰み者にされるのだ。

カリドもその一人で、養子として引き取った両親にも知人にも言わず、少年時代のおぞましい記憶に1人苦しんでいたのだろう。

結局、一連の殺人事件の犯人だったカリドは、自分を弄んだ男である刑事のアミールを拷問する現場をジミーに押さえられる。

カリドをなだめるジミーは、彼の心情に寄り添おうとしているであろう複雑な表情で見ていた。

事情を何も知らない者に射殺されるより、発見したのがジミーでよかった…と思いきや事態は一変。連続殺人事件に関わっていた刑事で面識のあるアミールは、ジョニー(失踪したジミーの息子)を弄んだことを示唆するような挑発に乗り、ジミーは彼を銃殺してしまうのだ。

このジミーの行動には、カリドも驚いていたがジミーも人間。息子のことに触れられては冷静ではいられないだろう。

ただ、ジミーは作中も冷静さに欠けるというか、1人で突っ走るところがあったので行動は早まりすぎたのかなとは思う。

実際、アミール宅で見つかった少年の遺体はジョニーではなかったし、彼が死んでしまっては本当かウソかさえ分からなくなるのだから。

しかし、真実を知った上で物語を振り返ると、権力者が自分たちの罪を隠そうとする伏線が多かった。

たとえば、夫婦はカリドの捜索に取り合ってもらえずジミーへ依頼したのに、急に捜査してもらえる展開になったのは、失踪者がアフガン出身の青年だったからだろう。アミールの差し金なのかと考えた。

またアミールは出所したばかりの白人至上主義者に、一連の事件の犯人であることを擦り付けた。(無理やりすぎてこのあたりからアミールが怪しいと感じたが…)

バチャバジを知る前と後で登場人物の見かたが変わる点は面白いが、終わるまで結局ジョニーの行方は分からずじまいなので、モヤモヤが残る話ではある。

 

一説によると、イスラム教徒からすると同性愛は「罪」なので処刑されるところ、アフガニスタン軍はアメリカと組んでいたことで緩くなっていたらしい。

そんなこと関係なく、自分の欲を満たすために子供を蹂躙していいわけがないし、子供に恨まれ殺されても同情はできないだろう。

そして無力な子供に救いの手を差し伸べられるのは大人しかいないのだが、大人は大人の事情に縛られ子供を救えない。

映画でも、バチャバジの現場にいても止めることができなかった証言者は口をそろえて「最重要課題はタリバン打倒だったから」という。

少年たちを見殺しにした自責の念に苦しみ続ける者も、今なお性暴力を続ける者も両方描かれるが、、彼らの心を殺し犯罪者となるきっかけを作っている。何人もの少年が人生を奪われているのだ。

バチャバジは現代でもアフガニスタンでは横行しているらしい。

いや、バチャバジだけではなく、少年の性被害はあらゆる形で横行しているし、日本でもたびたび問題になっている。

問題視されているのにここまで横行するのも、作中で「最重要課題はタリバン打倒だったから」という一言が物語っている。加害者は論外だが、性暴力があるまじき行為と分かっていて助けたくても助けられない大人。聞く耳をもってもらえない、自分が生きることで精一杯、勇気が出ないなど、事情は様々だろう。

だが、この映画では復讐として連続殺人事件となったが、心を蹂躙された者が実行する手段はこの限りではないだろう。

負の連鎖につながると思わずにはいられない、そんな考えに至る映画だった。

バチャバジについて描かれた映画は他にもたくさんあるようだ。