「英国紳士」「イギリスは紳士の国」といわれるように、イギリスの男性が紳士というイメージはありませんか。

そもそも「なぜイギリスが紳士の国なのか」と疑問に感じる人もいるでしょう。

今回は、「紳士」が誕生した歴史や本来の意味に触れ、なぜイギリスが紳士の国なのか解説します。

そもそも「紳士(Gentleman)」とは?

辞書で定義される「紳士」の定義は以下の通りです。

  • 上流社会の人。
  • 上品で礼儀正しく、教養の高いりっぱな男性。
  •  成人の男性

出典:デジタル大辞泉(小学館)

紳士は英語で「Gentleman(=ジェントルマン)」ということをご存知の方は多いでしょう。

「gentle」は“優しい” “穏やか”という意味があります。紳士のイメージにピッタリですね。

しかし、Gentlemanの語源はイギリスの階級をあらわす「gentry」からきています。

ここに、イギリスが「紳士の国」とされる所以があると言われているのです。

なぜイギリスが紳士の国なのか?

上記で説明した「gentry」は、イギリスの階級で地主層を示す言葉です。

このころの地主層(以下:ジェントリ層)は貴族の下に位置する、上流階級(支配者層)の中の最下位というポジション。

貴族と平民を含む層と意味されることもあります。

歴史学の分野では、不労所得のある大土地所有者を意味します。

このジェントリ層にいた人々の活躍が中世のイギリス社会に大きな反響を与え、「Gentleman」が誕生したのでしょう。

紳士文化が浸透した背景

では、ジェントリ層はいかにしてイギリスの紳士文化を築き上げることとなったのでしょうか。

以下では、紳士文化が浸透した背景を解説します。

宗教改革で土地の所有者(ジェントリ層)が増えた

イギリスでは、国王ヘンリー8世による宗教改革で修道院が解体され、多くの土地が没収されます。

これらの土地を買い取ることが許されたのが、国王を支持した当時のジェントリ層にあたる人々でした。

 

政治的な権力を持つようになる

ジェントリ層は地主として財産を有し、賃貸料で生活しながら政治や文化活動に専念します。中には大地主になって権力を持つ者もあらわれ、やがて政治面でイギリス議会の中心となりました。

そしてピューリタン革命では、ジェントリ層が国王の専制政治を倒して共和制を勝ち取ります。

紳士の誕生はイギリスの階級制度と深い関わりがある

「紳士(=Gentleman)」は、イギリスの階級制度の中で位置づけられた「ジェントリ層」によって生み出されたことがわかりました。

中世の社会に大きな影響を与えた紳士は、現在のイギリスを作り上げたとも言えます。

「イギリス紳士」「英国紳士」という言葉が日本で知られているのも、納得できますね。