大人気マンガ「進撃の巨人」において、キーパーソンのような存在だったジーク。アニメ初期の“獣の巨人”としての恐ろしさや、マーレ戦士長としての飄々とした態度、それらと裏腹にかなり重い過去と強い信念を持つ複雑なキャラクターです。ジークが考案した“エルディア人安楽死計画”は、彼にとって最大の正義であり、人々にとっては脅威でした。彼の生き様からは、何を学べるでしょうか。

 

ジーク・イェーガーは何者?

主人公エレンらの住むパラディ島を襲撃した“獣の巨人”の正体で、巨人を主戦力とする軍事国家マーレの戦士長です。マーレに恨みを持つエルディア復権派の父グリシャとフリッツ王家の末裔である母ダイナのもとに生まれた、エレンの腹違いの兄でもあります。王家の血を引くジークには特殊な能力が備わっており、彼が叫ぶことで、彼の脊髄液を摂取したエルディア人を巨人化させることができます。ジークはこの能力で、敵陣に多数の巨人を落下させたり、脊髄入りワインをパラディ島の兵士にふるまい、大惨事を引き起こしたりなど、猛威をふるっていました。

 

殺戮者として登場したジークだが真の目的は…?

彼が初めて姿を見せたのは、“獣の巨人”の姿でパラディ島に襲来したときでした。調査兵団のミケ・ザカリアスが初めて対峙したものの、あっけなく追い詰められ立体起動装置を奪われてしまいます。その後も、ウドガルド城やシガンシナ区の戦いでは、投石攻撃で調査兵団を壊滅に追い込み、戦場は地獄絵図へと化しました。

表向きはマーレ軍に忠実な戦士長でしたが、彼の真意は別にあり、裏で反マーレ義勇兵を組織したり、エレンと接触を試みたりなど、虎視眈々と活動していたのです。彼はパラディ島に恨みを持っていたわけでも無差別殺人がしたかったわけでもなく、エルディア人の身体の構造を変えられる“始祖の巨人”の力で、すべてのエルディア人の生殖能力を奪う「エルディア人安楽死計画」の実行を目的としていました。

 

両親に苦しめられ、恩人と約束を交わしたジークの過去

エルディア人復権派の両親のもとに生まれたジーク。幼少期から両親の思想に悩まされ、マーレ戦士の訓練生に送り込まれながらも、必死に期待に応えようと奮闘していました。しかし、エルディア復権派が危ないことを悟り、ジークの恩人で、かつての獣の巨人の継承者“トム・クサヴァー”の助言を受けて自分と祖父母の身を守るため、両親をマーレ当局に密告します。両親は、巨人にされてパラディ島に追放する処刑“楽園送り”に。過剰な期待とプレッシャーでひどい扱いをうけながらも、自分にとってかけがえない両親を裏切る…幼かったジークには、あまりに残酷な選択です。

忠誠心を買われて戦士候補生となったジークは、エルディア人を苦しみから解放するという思想のもと、クサヴァーとともに「エルディア人安楽死計画」を志すことに。そして、クサヴァーから獣の巨人を継承したのでした。

 

純粋ゆえ過激な「安楽死計画」

ジークが画策していた安楽死計画は、エルディア人の血を根絶することで巨人化の能力そのものを消し去り、ゆるやかに負の連鎖を断つというもの。エルディア人ゆえの苦しみを味わいつくしたジークだからこそ「生まれてくることが苦しみ」という考えに至りました。安楽死計画が成功すれば、辛い運命が待ち受ける者が生まれてくることはなくなり、「世界が巨人の脅威に怯えたり苦しめられたりせずに済む」という、非暴力的でありながら過激な計画に、平和的解決を見出していたのです。

またそこには、両親に利用されただけで愛情を受け取ることができなかったジークの痛みと葛藤もうかがえます。エルディア復権と対極にある安楽死計画を成功させて平和な世界が訪れれば、両親を告発した自分の選択が正当化される。そんな思いもあり、安楽死計画に強い信念を持っていたのかもしれません。

 

ジークは正しかったのか?答えのない問い

ジークの目的は、エルディア人を差別の苦しみから解放し、世界を救済することにありました。ジークの大量殺戮を咎めるリヴァイに対し「(命を)奪ってない…救ってやったんだ。そいつらから生まれてくる命を。この残酷な世界から」というセリフからわかるように、自分が多くの人を殺めたことは「救い」で、彼なりの正義としています。しかし、マーレ編に入る前のパラディ島は、ただ巨人に支配される人間たちの視点で描かれており、ジークが始祖の巨人にたどり着くまで、多くの人間を犠牲にしているわけです。獣の巨人(ジーク)の投石攻撃で絶命した者のひとりに、調査兵団団長エルヴィン・スミスがいたように、彼に蹂躙されたパラディ島の者たちにも、それぞれにストーリーがある。ここでのリヴァイとジークの対話はまさに、純粋で歪んだ正義と、その犠牲を知る者との静かなぶつかり合いでした。

最終的には、アルミンとの対話で、「生きる目的とは”増える”ことだ」というジークの乾いた死生観が覆されたあとにおいても、「安楽死計画は間違っていなかったと今でも思う」という意見だけは、さいごまで変わりませんでした。読者、視聴者のあいだでも、エレンが起こした「地ならし」よりも平和的解決であるという意見も多くあります。しかし、エルディア人や世界が苦しみから救われて丸く収まるかと問われるわけでもありません。新たな脅威、行き場を失った差別思想。形を変えて、同じ歴史が繰り返されるでしょう。

じゃあ何が正しいのか。万人にとっての正解なんてないですし、それがわかれば、日常の小さないざこざから大きな戦争まで解決できているはず。でもそのなかで、何を思い、どう生きていくか考え続けることはできます。少なくともジークには、彼なりの正義と平和を願う心があり、そのために奮闘する生き様を見せてくれました。